2013年6月10日月曜日

ありきたりながら留学で得たもの3つ

留学で得たもの3つ。

1つ目は非常に言語化しづらいのですが、

ある外国人がいて、「こいつ変なやつだなー」と思っても、その変さが個人の特質からくるものなのか、国民性からくるものなのか、わからなかったものが、様々な国籍の中で生活する中で、「あいつから見てもこれはおかしいと思うんだ」「あ、これはセーフか」と基準・考え方がはっきりしてきた

という説明をしてきました。とはいえ、いつもそう冷静に客観的に見られていたわけではなくて、やっぱりイライラしていた時期があったと思います。あれ、俺こんなに人間性なかったっけ、心狭かったっけと思うことも多かった一方で、そうした日本でなかなか得られないストレスを経験できたことは財産になると思います。

これを単に「価値観が広がった」というのも違う気がします。
「日本ではまず会わないような人に会って価値観が広がった結果、自分のよりクリアになった憲法、軸を以て相対的に見られる物事の範囲が広がり、他人に対して受け入れ・ダメ出しがより自信を持ってスマートにできるようになった一方で、自らの行動規範もより定まった」
とも言えるんでしょうが、抽象的でこれだけ言っても何がなんだかわからないかもしれません。

後輩は前半部の「価値観が広がる」というところのプロセスとしての「価値観を揺さぶる」ということにフォーカスして書いてます。非常に良い文章なのでぜひ。



2つ目もざっくり言って「価値観が広がり軸ができる」というただのバズワードである1つ目に続いてありきたりですが、主張・議論について思索と実践を重ねられたことです。

中国韓国という、日本のことが貶されがちな国で国際関係を学ぶ、という意味ではやっぱり反論する、しなければならない機会が何かと多いです。
さらに中国・韓国で学んだ、ということに意味を見出すならば、偏見・先入観・自己防衛本能からできるだけ自由な立場で建設的な議論を進めていく、ということをこれほど徹底的に訓練される留学はないと思います。

もちろん英語力的な意味でも、北京大留学時に清華大学でネイティブとディベートしたり、ソウル大学のゼミで教授と議論したり、議論的な意味では日本語だと当たり前にできる、立てられた問いを詳細にしたり、意図を確認したり、言葉のニュアンスを調整したり、漠然とした質問に対して答えるスコープを定めて返したり、ということができるようになったのではないかと思います。もちろん道半ばですが。


3つ目は友人の大切さです。日本にいるとき、電話一本メール一本で会いたい人に会えることに対して恵まれているという自覚が留学前は薄かった気がします。こっちで友達がいなくて困った、ということはないですが、日本の友人にすぐ会えることが自分の大きな資産であることを感じました。

逆に、日本にいれば今回中国・韓国でできた友人やアメリカやフィリピンでの学生会議などで会った友人にはなかなか会えないので、そういった意味でも一期一会をより心に留めておきたいです。

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